NPO法人純正律研究会への入会のご案内。
玉木宏樹(代表) 作曲家・ヴァイオリニスト

ピアノと純正律/玉木宏樹

紅白でゴスペラーズが出て話題になり,急激にハモるコーラスが注目されだしている。私から見れば,ゴスペラーズも善し悪しで,1940年代の黒人ゴスペル・グループとは比較のしようもない段階である。でもハモるということはとても良いことで,純正律への一里塚である。テレビでも「ハモネプ」コーナーなどもやっており,ますますハモる系統が増えていくことだろう。

いま,アマチュアが熱い!

さて,2002年3月17日に横浜栄区の音楽協会によばれ,リリスホールで純正律のレクチャー・コンサートをやったが,ほぼ満員。しかも圧倒的な支持を受け熱い興奮が伝わってきた。アマチュア音楽愛好者の集まりだったが,コーラスの人も多かったため純正律に関する興味と関心は非常に高かった。一緒にステージに上がってくれた女声コーラスのプーラ・ボーチェは一切ビブラートもなく,あの懐かしい小倉朗氏の「ホタル」が見事にハモり,ちゃんとエコーの様にきこえたのがとてもよかった。このように最近のコーラスはビブラートをかけない人達が増えてきた。とても良いことだ。二期会コーラスや東京混声合唱団もぜひそうして欲しい。でないと,プロと称するコーラスだけが濁りきった叫び合い集団になってしまうだろう。

プーラ・ボーチェにはカノン(輪唱)の指導コーナーまでお付き合い頂いて大変面白い会になった。

ピアノ系が抱く大誤解

やや時間オーバーし質問コーナーをすっとばした為,終ってから沢山の質問が文書で寄せられた。結果,純正律に対して一般の人達が陥り易い誤解に1つの共通項がある事に気づいた。これは,いま私が行っている桐朋学園短大の「純正律講座」でも同様である。そこで,詳しい方にはまたかと思われそうだが,おさらいの意味でも,その誤解を説明しておきたい。

それは,ピアノという楽器への信頼感を打ち破る事に強い抵抗感があるからではないかと思われる。コーラス系からの質問は,どうすればよくハモれるのかといった自然なものだが,ピアノ系の人達の質問は,私が何度も説明しているにもかかわらず「ピアノで純正律に調律できないのですか」とか,平均律は大体ドビュッシー以降の百年間位の歴史しかなく,それ以前には様々な調律の工夫があったと,ミーントーン,ヴェルクマイスター,キルンベルガーについてしつこく説明しているにもかかわらず,「ドビュッシー以前の作曲家やピアニストは純正律だったんですね,じゃショパンの24の前奏曲は演奏できないじゃないですか」という,なんかすがりつくような抵抗感が返ってくる。

玉木版調律の歴史概略

知っている人には自明の理だが,もう一度私なりの調律の歴史の認識を書いておこう。グレゴリアンからルネサンスの初期までは,ピタゴラス音律。そして,長3度の協和を発見した頃から純正律(というか,転調がなければ純正調)に目覚め,ピタゴラス音律用のオクターヴを12分割した鍵盤楽器とどう折り合うかということから,初期のミーントーン(中全音律)が考案された。たくさんの調律法の中で,バッハはヴェルクマイスター第3を使ったとされているという人が多い。またバッハ以前のピタゴラス的ポリフォニーから脱却して,協和の響きを取り戻す為,ヘンデルはミーントーンに戻った。このヘンデルの明快さは圧倒的な影響を与え,モーツァルトは完全なミーントーン主義者だった。そしてベートーヴェンも初期はミーントーンだったが,ヴェルクマイスターを改良したキルンベルガー第3を採り入れて,転調を拡大していった。

キルンベルガー再評価

私は自らコンピュータ上で確認しているが,キルンベルガーは一応全ての調で演奏できる。平均律がはびこる以前は,作曲家,ピアニストの好みで,色々な調律法が使われたと思うが,悪貨は良貨を駆逐するの喩えのように,調律しやすい平均律によって,各調の微妙な色彩感がなくなってしまった。なんだか,栄区の人達の質問に対する回答のような中身になってしまったが,たまには後ろを振り返るのもいいだろう。


現代音楽は1976年に既に死んでいた/玉木宏樹
戻る
Copyright(C) 2008 PURE MUSIC SALON All Rights Reserved.