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玉木宏樹(代表) 作曲家・ヴァイオリニスト

ビブラートの正体について/玉木宏樹

私はヴァイオリン奏きなので,ビブラートをかけるのは絶対的な日常性なのだが,この,一見純正律とは相反するような奏法について考えてみたい。ただし,ビブラートの歴史や必然を述べている著作にはほとんど出合ったことがないし,大部分は自分の体験上の裏付けによっているということを前提にするので,私が間違った記述をしたり,または別の角度からの意見があったら,ぜひ,投稿するなり私のホームページの掲示板に書き込むなりしていただきたい。

「特権」としてのビブラート

さて,ビブラート(英語ではヴァイブレーション)は,ある音程を基音に,微妙なピッチの上下によって「ふるえ」を生じさせ,強弱等のエモーションを強調させる役割を担っている。現代の大人の演奏は,ソロの場合,歌でも音楽でもほとんど無自覚にビブラートをかける。古楽や小アンサンブルのコーラス,ブルガリア系のコーラス以外は,全く無自覚にビブラートをかけて歌うので,コーラスの場合,ハモることを全く度外視して悲惨な結果を招いている。大多数のママさんコーラスはもとより,プロと称している合唱団も総て,ハモるのが基本の「純正律」上から見ると死刑に値するほど勝手なビブラートをかけあって,何が何やら分からぬ騒音集団と成り果てている。

天国的な協和を目指す我が純正律音楽研究会に於ては,こういう騒音は退治してまわらなければならないのだけど,その代表者たる私・玉木がヴァイオリンを奏くと,ほとんどの場合,ビブラートをかけっ放しである。私がよく純正律のカラオケ・テープに合わせて奏く場合でも,バックはノンビラートなのにソロ・ヴァイオリンはビブラートをかけまくっている。そして当然,ビブラートをかけた瞬間の(譜面の)「たてわり」は明らかにハモってはいない。これはどういうことなんだ!結論から先に言ってしまおう。ビブラートをかけることができるのはソリストの特権なのである。

少し視点を変えよう。通常のクラシック楽器の場合,ほとんどはビブラートをかける。ただし,ハープやピアノ,ギター等,音が伸びない楽器はビブラートをかけられないし(遅い曲におけるギターを除く),そういう楽器の場合は音が伸びない部分で速いパッセージやアルペジオを多用する。この「速いパッセージ」は後ほど重要なテーマになるので覚えておいてほしい。

クラリネットの謎?

ところで,音が伸びてもビブラートをかけない楽器がある。それは,大部分のホルンとほとんどのクラリネットである。ホルンの場合,ソロよりも4人くらいのアンサンブルの方が効果的であり,その場合は,ノンビブラートで完全にハモらないと,吹いてる人達も聴いている方も非常な不快感に襲われる。ウェーバーの「魔弾の射手」の序曲のホルンが銘々ビブラートをかけたら,地獄に落ちた狼のような響きがするだろう。

そして,木管楽器では唯一,クラリネット。この楽器はもちろんビブラートがかけられないのではない。ベニー・グッドマンをはじめとしたジャズ・クラリネット奏者は,物の見事に魅惑的なビブラートをかけるのに,なぜクラシック奏者はかけないのだろう。私はこれに対する的確な答えをきいたことがない。多分,品がないという理由かもしれないが,それでは,オーボエやフルートは全く下品な楽器ということになる。

私の憶測にしか過ぎないが,クラリネットがノンビブラートなのは,実はクラリネットが一番新しい楽器であることの証拠のように思えてならない。

クラリネットは大体,1700年頃発明(というか古楽器の大改良)されており,種々の改良を経て,モーツァルトの後期の交響曲(特にNo.39)にも取り入れられ,また,モーツァルトの代表曲として,クラリネット協奏曲,クラリネット五重奏がある。モーツァルトの後期は,クラリネットと共にピアノフォルテのチェンバロ(ピアノの前身)も登場し,ベートーベンへと受け継がれ,音楽の在り方が激変する。

ところで今,古楽ブームがあり,モーツァルト・チューニングとして,今よりも約半音低い音程でのアンサンブルが流行っている。そのアンサンブルは,原則的にはソロ以外はノンビブラートである。

パガニーニ時代のヴァイオリンは,ソロでさえノンビブラートだったらしい。ヴァイオリンのビブラートが一世を風靡したのはサラサーテの登場以来といわれている。

昔気質の新人・クラリネット

さて,リード系の木管楽器の場合,オーボエもファゴットもどちらかといえば音程がふらつき易く,特にフルートは音程が安定しにくい。モーツァルトはフルートの曲も残しているが,内心,フルートは音程が悪いから嫌っていたようだ。ハモることを前提にしていた古典派の演奏で,オーボエやフルートをノンビブラートでハモるのはなかなか難しい。そこへさっそうと現れた新楽器クラリネットは,その音色のせいもあって,ノンビブラートでハモった時がすばらしく美しい。だから,一番よくハモる楽器として登場して以来,ずっとその伝統が受け継がれてきたのではないだろうか。

もともと音程の不安な複リード楽器はビブラートに頼るようになり,昔のようなハモりの響きが失われていったのが現代のオーケストラであり,その中にあって未だに頑固にハモりを主張して新しい楽器なのにコンサバになってしまったのは大変面白い。

話は変わり,ビブラートには2種類あるのはお分かりだろうか。たいていのビブラートは,確固とした基音の音程があり,その基音を中心に,上下に音程変化をさせる方法。弦楽器,フルート,方法論の特殊なものとしてビブラフォンやエレキピアノもこの部類。昔,ハモンドオルガンのビブラート用にレスリーというエフェクターがあったが,これは実は扇風機であり,羽の回転によりディレイのかかった音程変化が得られる。原理的にはビブラフォンと同様である。ところが,基音のないビブラートがもう一種類。それはブラス系のビブラートと人間の歌声のビブラート。これは確固とした基音はなく,ある幅で,基音と思われる音の周辺のをはっきりと音程変化させている。なかなか説明するのは難しいが,トロンボーンのようにスライド式の楽器のことを想像すると分かっていただけると思う。人間の歌声がまさにこの方法であり,オペラアリアのトリルなんか,ビブラートを激しくしただけのことであり,あまりビブラートとの違いははっきりしない。なんとなくビブラートの幅が多くなっただけのようでもある。

歌声のようなvln二胡奏法

ところで,同じ弦楽器でも中国の二胡という胡弓のビブラートはヴァイオリン族とは全く違い,歌のビブラートと同じように音程変化で表現する。二胡にはもともと指板がないので,安定した音程を作りにくいが,弦を深く押さえることによって音程は高くなる。だから二胡のビブラートは弦の押さえ方の強弱で表現する。ギターでいえばチョーキングであり,シタールも全く同じである。

私は自分のヴァイオリンで二胡風のビブラート奏法をするが,これは左手の一本指だけで演奏する。音程の上下関係でかけるビブラートはほとんど二胡風で,全く,ヴァイオリン的ではない。私はある時,ソプラノとのデュオの仕事があり,このビブラートを使ったところ,ソプラノが2人いるように聞こえた。ヴァイオリンが一番人間の声に似ていると言われるのには,このような演奏方法をしないと分からないのである。


ピアノと純正律/玉木宏樹
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